もがくゲイの500字

ゲイの苦悩や考え方を500文字程度で語ります。

11. もし自分が異性愛者だったら…

もし”当たり前”に、”普通”に、”正常”に、自分が異性愛者だったら、僕が日々感じる精神的苦痛の95%は軽減されるだろう。

僕は自分が異性愛者だという前提で人々に接されるのが堪らなく耐えられなくて、必要以上に人と密になるのを避けてしまう。かと言ってカミングアウトする勇気もない。これが本当に辛い。僕はみんなと後ろめたい気持ちなく仲良くなりたい。

飲み会で恋愛話になるときなどは、誇張なく死にたい気持ちになる。

ふと、自分が異性愛者だったらと考えることがある。自分の気になる人を、好きな人を、大切な人を、ドキドキしながら仲のいい人たちに共有するのはどれだけ幸せなんだろう。僕にはわからない。自分の大好きな恋人を家族や友達に紹介するときの気分を。

僕たちは恋人ができたとしても、その幸せを周りの人たちに共有ことはできない。恋人は影のような存在、自分と相手が付き合っていることはこの世で二人しか知らない。誰にも伝えず、一緒にいるところを知り合いに見られたら、なんとなく後ろめたい気持ちになって、そそくさと距離を置く。どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。

同性愛者への当たりが強かった一昔前の当事者たちはどんな思いで生きてきたんだろう。

10. 同性愛者だからこそ得られたもの

これまではネガティブな話が多かったように思う。僕のことを知らない人たちは、僕のことを陰気で下向きな奴だと思ったにちがいない。

今日は10回目の投稿記念なので、少しばかりポジティブになってみたい。僕の努力の源の話をする。

僕はゲイだ。だから、異性愛者こそがノーマルなこの世界ではアブノーマルな存在とも言える。だからこそ僕はこれまで頑張れた。勉強はたくさんしたし、見た目にも人一倍気を遣ってきたし、徳のある人間になるための努力も厭わなかった。

アブノーマルだからこそ、何においても最低でも平均以上でなければならないと無意識に思っていたんだと思う。何かの分野で平均より劣ると、同性愛者は異性愛者よりも能力的に低いと思われてしまいそうな気がしたから。

実際はそんなこと思われる訳はない。そもそも僕は誰にもカミングアウトすらしていなからなおさらだ。

でも僕は同性愛者である自分を正当化するためには努力するしかなかった。もう頑張れないという思いになったときも、幾度となくこの気持ちが僕を奮い立たせた。

同性愛者だという劣等感を抱えているからこそ異性愛者には負けたくなかった。

この点において、僕は自分が同性愛者であったことに感謝している。

 

 

9. 全ての足枷

コミュ力お化けとも言われたことのある僕が人との関わりを避けるようになったのは、恋愛や結婚、性の話題を避けるためだ。

本当の僕をさらけ出すことができず、気まずい時間を過ごすぐらいから、誰とも深く関わらない方がいい。こんな思いで、最近の僕は人との深い関わりを避けてきた。

そういう話をする必要のない場所は僕にとって天国だが、恋愛至上主義のこの世界でそんな場所はない。異性への恋心があるフリ、性的な関心があるフリをし続けて相手を騙すのは辛かった。

いや、一番辛かったのは自分に嘘をつくことだったかもしれない。

周りの会話に合わせて、異性愛者を演じた帰り道、僕は漏れなく魂がすり減っていくのを感じた。

愛する人がいるのにその人のことを言えない、僕が彼のことを好きなことを知っているのは彼だけ。虚しい。そんな思いはとうに慣れたはずだったのに。

ロミオとジュリエットのような気分になって逆に気持ちが盛り上がる人もいるんだろうか。

8. 僕の心をゆっくりと壊していく質問

26歳になって1ヶ月が経った。僕の日常の頻出単語に一躍躍り出た「結婚」の2文字が僕を苦しめていることはご察しの通りだ。

今は頻出度Bだが、それがAになり、Sになる日が間もなく来ることは容易に想像できる。その予感だけでも、僕の心を暗くて深い奈落に突き落とすのに十分だった。

他者から結婚についてどう考えているかを尋ねられる度に、僕は嘘を吐くか、性的マイノリティであることを明かすかの二択を迫られる。先にも述べた通り、後者の方はどうにも僕にはできそうにない。そうなると嘘の理由をでっちあげる必要がある。それは僕にとっては地獄の苦しみなのだ。自分の本当の気持ちを押し殺して、吐きたくもない嘘をつくことは僕の誇りと自尊心をズタボロにする。

僕は元来、精神力には自信があったはずだが、この件になるとどうもダメなようで、結婚(あるいは恋人)に関する質問を受けて、嘘の回答をした日は心が一日中暗くなる。相手にとっては何気ない質問、僕にとっては自分の一日を左右するほど大きな意味を持つ質問。嘘を吐いているときの自分の顔はきっと、左頬が引き攣っているに違いない。

こんな経験ばかりしてきた僕は、異様に相手の気持ちを慮るのが得意になった。

7. 幸せと絶望感はいつもセット

お盆休み、彼との関西旅行を終えて大阪の実家(祖父母宅)、母の自宅(奈良)、父の単身赴任地(鹿児島)を訪れた。

まずは大阪、僕の生まれ育った場所だ。5歳と1歳の従兄弟も祖父母と住んでいて、とても賑やかだった。僕の現在をこのまま引き伸ばしても、そういう当たり前のわかりやすい幸せに辿り着けないことを再認識して、やはり少し悲しくなった。

奈良にいる時も同じだった。そういう気持ちはどこからともなく、前兆なくやってくる。楽しさの中でふと感じる悲しみ。

純粋に生きている今この瞬間を楽しめなくなったのはいつからだろう。同性愛者に生まれたことで閉ざされた道、隠し続けることのもどかしさ。もう全部打ち明けてしまいたい、と幾度となく考えた。でもそれをしてしまうと、もう二度と引き返せないどこか別の世界に行ってしまいそうだという予感。

同性愛者の中にはカミングアウトにより幾分か心が救われた者もいるだろうが、僕にはできない。勇気とかそんなんじゃない。

鹿児島から東京に向かう飛行機の中、最後方座席の窓側で、幸せそうな男女カップルの横で僕は思った。このまま飛行機が墜落しても、我が人生に一片の悔い無し。

6. 運命的とも言える彼との出会い

彼との出会いは運命的だった。

会社の計らいで、僕たち新入社員は寮のような社宅のような場所に住むことになった。

そこは11階建てのマンションで、新入社員108人が居住していた。僕の部屋は4階だ。

ある日、とある僕の友人が誕生日プレゼントを僕の自宅に送ってくれた。荷物到着時に僕は不在にしていたため、そのプレゼントは備え付けの宅配ボックスに保管されるはずだっあ。

しかし、ネットで配送状況を確認すると配送済みと表示されてから数日経っても、宅配ボックスのディスプレイに僕の部屋番号が表示されることはなかった。

不審に思って、宅配ボックスのディスプレイを眺めていると、僕の隣の隣の部屋が1週間ほど取り出されずに放置されていることがわかった。

一念発起した僕は、その部屋のインターホンを鳴らした。警戒するようにドアを開けた男性を見て、可愛いなぁと思ったことはさておき、僕は荷物の件を尋ねてみた。

宅配ボックスを使ったことがないらしい彼は顔にはてなマークを浮かべながらも僕と一緒に宅配ボックスに行って確認してくれた。

中身を確認すると、予想通り僕宛てのプレゼントが入っていた。この彼こそ、後に僕のパートナーとなる人物である。

5. やすらぎと幸せと後ろめたさ

皆さんお気づきだろうか。

僕はこれまでのブログ投稿を全て500字(1割程度の誤差あり)で収めてきた。

何文字でもいいから毎日ブログ継続というのでは続けられる自信がなかったので、500字程度の投稿を毎日継続するという縛りを課した。これで少しは長続きしそうだ。

余談はさておき、昨日まで彼と4泊5日の関西旅行を満喫した僕は、彼と解散後に実家(厳密には祖父母宅)に向かった。彼はさらに南下?して中国・九州地方を一人旅しているようだ。

彼との旅行は爆発的な楽しさを齎してくれたわけではなかったけれど、僕にひとときのやすらぎを与えたことは確かだった。

彼といる時間は平安そのものだった。僕はすごく周りの目を気にしてしまうということを最近自覚したのだが、滋賀のような誰も知り合いがいない場では周りを気にするという発想すらなかった。

生まれ故郷の大阪や現住所の横浜では、彼といる現場を知り合い誰かに目撃されるのではないかといつも心のどこかで恐れているのに。

僕と彼が一緒にいるのところを見たからと言って、誰も2人がゲイカップルだなんて思わないことは知っている。でもやはり後ろめたさがあるのか、人目を気にしてしまう。

 

カップルが堂々と手を繋ぎながら歩いている場面を旅行中に何度も見て、堂々とできない自分がすごく悲しかった。