もし”当たり前”に、”普通”に、”正常”に、自分が異性愛者だったら、僕が日々感じる精神的苦痛の95%は軽減されるだろう。
僕は自分が異性愛者だという前提で人々に接されるのが堪らなく耐えられなくて、必要以上に人と密になるのを避けてしまう。かと言ってカミングアウトする勇気もない。これが本当に辛い。僕はみんなと後ろめたい気持ちなく仲良くなりたい。
飲み会で恋愛話になるときなどは、誇張なく死にたい気持ちになる。
ふと、自分が異性愛者だったらと考えることがある。自分の気になる人を、好きな人を、大切な人を、ドキドキしながら仲のいい人たちに共有するのはどれだけ幸せなんだろう。僕にはわからない。自分の大好きな恋人を家族や友達に紹介するときの気分を。
僕たちは恋人ができたとしても、その幸せを周りの人たちに共有ことはできない。恋人は影のような存在、自分と相手が付き合っていることはこの世で二人しか知らない。誰にも伝えず、一緒にいるところを知り合いに見られたら、なんとなく後ろめたい気持ちになって、そそくさと距離を置く。どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。
同性愛者への当たりが強かった一昔前の当事者たちはどんな思いで生きてきたんだろう。