酸っぱい葡萄という物語がある。
高い木の上にある葡萄を取ろうとしたけど届かなかった狐が、その葡萄は酸っぱいと決めつけた話。
この狐は負け惜しみを言っている愚かな奴だと批判する人がいるけれど、僕はそう思わない。この考え方こそが、今僕が思いつく同性愛者として生きていく唯一の正解に思える。
自分が得られないいわゆる"普通の幸せ"を酸っぱい葡萄だと表現すること以外に、今の負の感情と決別する方法がわからない。
でもいくらそう思おうとしても、それが酸っぱい葡萄じゃないことを認識せざるを得ない日常。
酸っぱいはずの葡萄が実はすごく甘いものなら、僕は自分の気持ちを犠牲にしてでも、その甘い葡萄を取らなければと思ってしまった。だからこそ、それを得るために駆け抜けた。
なのに、最後の最後でチャンスを手放すなんて。本当に愚かだと思う。
いっそ、誰のことも好きになれないならよかったのに。人を愛する気持ちは素晴らしい?そんな感情いらない。消し去りたい。