もがくゲイの500字

ゲイの苦悩や考え方を500文字程度で語ります。

18. 酸っぱい葡萄の狐になることが唯一の道

酸っぱい葡萄という物語がある。

 

高い木の上にある葡萄を取ろうとしたけど届かなかった狐が、その葡萄は酸っぱいと決めつけた話。

 

この狐は負け惜しみを言っている愚かな奴だと批判する人がいるけれど、僕はそう思わない。この考え方こそが、今僕が思いつく同性愛者として生きていく唯一の正解に思える。

 

自分が得られないいわゆる"普通の幸せ"を酸っぱい葡萄だと表現すること以外に、今の負の感情と決別する方法がわからない。

 

でもいくらそう思おうとしても、それが酸っぱい葡萄じゃないことを認識せざるを得ない日常。

 

酸っぱいはずの葡萄が実はすごく甘いものなら、僕は自分の気持ちを犠牲にしてでも、その甘い葡萄を取らなければと思ってしまった。だからこそ、それを得るために駆け抜けた。

 

なのに、最後の最後でチャンスを手放すなんて。本当に愚かだと思う。

 

いっそ、誰のことも好きになれないならよかったのに。人を愛する気持ちは素晴らしい?そんな感情いらない。消し去りたい。

17. 繰り返す憂鬱

何度同じことで悩んだんだろう、何度同じ道を通ってきたんだろう。

 

どれだけ悩んで出した決断も、時間が経てば、それが悩み抜いた末に出した決断だったことすら忘れてしまう。

 

あんなに悩んだのに。絶対にこうしようと決めたのに。一時の感情に流されている現在の自分より、睡眠時間を削ってまで必死に考えて悩んでいた過去の自分が出した答えの方が正しいはずなのに。

 

いろんな人を傷つけた。全ては自分のせい。自分のセクシャリティのせいだと思うけれど、きっと自分が同性愛者でなかったとしても、同じように別の理由でいろんな人を傷つけていたことだろうとも思う。

 

同性愛者が生きるべき道は、自分の気持ちに素直になって生きるか、あるいは自分の気持ちを押し殺して生きるかの二択のように言う人が多いけど、本当はそんな単純なものじゃない。

 

同性を人生のパートナーとして選ぶことが、必ずしも自分の素直な気持ちに従った選択というわけではないし、異性と結婚することが必ずしも世間体のためと言うわけじゃない。

 

だから、「自分の気持ちに素直に生きるのが絶対いいよ」みたいな言葉は本当に響かない。わかってる。自分の素直な気持ちがわからないからこそ、こんなにも苦しい。

16. 急激な心境の変化による罪

 

今日は2024年の元旦。僕は大いに悩んでいた。全ては自分のせい、こんな感情を抱くことになろうとは、当時の自分には思い及ばなかった。

2023年、これまでたくさんの恋愛と別れを繰り返してかた僕は、男性との恋愛を諦めて友情結婚することを決意した。友情結婚専用のアプリに登録し、気の合う女性と交際を始めた。相手の女性は恋愛感情/性的欲求を持たない人だった。全ては上手くいっていたはずだった。

なのに。なのに。なぜ僕はここに来てこんな感情を抱いてしまったんだろう。交際から1年が過ぎ、相手の両親への結婚挨拶も済ませた。そして2023年末、僕の実家に彼女を招いて親戚に紹介した。

彼女と結婚すれば、普通の夫婦とは異なったとしても幸せな家庭を築ける予定だったのに。僕はこの期に及んで、彼女との結婚を躊躇ってしまっている。結婚相手として親族に彼女を紹介する時、たまらない精神的苦痛を感じてしまった。彼女のことを好きだと周りに思われることを心が拒絶していた。

そう感じてしまったきっかけは、僕の親族と彼女の関わり方だ。彼女は僕の親族がどんな話題を振っても、全てに対してつまらない返答をしていた。会話はあまり盛り上がらない。これは土地柄の違いもあるんだろうから仕方ないなんだと思う。それでもその違和感を取り去ることはできなかった。

僕がこれまで付き合ってきた男性は、ルックスが良くて、愛嬌があって、初対面の人にでもユーモアのある返しもした。性格も良くて自慢できる人たちだった。そういう人を僕の結婚相手として親族に紹介するのなら、僕も誇らしげな気持ちで照れながらも気持ちよく会わせられたんだと思う。(相手が同性であることはさておき)

でも今回の彼女は全てがその真逆に近かかった。正直、見た目はお世辞にも良いとは言えないし、愛嬌もユーモアもあまりなかった。少ならず陰のオーラと自信のなさを感じさせるタイプだ。その挨拶の会を機に、彼女と結婚するモチベーションが限りなく低くなってしまった。

そんなこと1年も交際していればわかるはずだ、今更そんな話をするのはとんでもないクズだと思われて当たり前だ。でも僕は親族に紹介する段になって、初めてこういう感じ方をしてしまったのだ。もちろん、最初から見た目がタイプじゃないこともや陰気なタイプだということも認識はしていた。今回の挨拶を通して、その気持ちが取り返しのつかないまでに大きくなってしまった。

一体僕はどうすればいいんだろう。
男性との恋愛があまりにも辛いから友情結婚という第三の選択肢を選んだのに、それはそれで大きな悩みを生む結果となりそうだ。本当に心から自分の好きな人を大切な親族に紹介できて、愛を誓いあって結婚して、それを世間にも認めてもらえるのなら、どれだけ幸せだろう。僕には届かない夢。

15. 恋愛という感情に別れを告げた日

2022年9月、彼に別れを告げられた僕は恋愛という感情に永遠の別れを告げた。

彼が僕に別れを申し出たのは、僕があまりにも苦しんでいたからだ。好きな人とと一緒にいる日常とそれが許されない(と感じてしまう)環境との狭間で僕の心は正常ではなくなりつつあった。

僕には素敵な両親や多くの友人がいるし、幼少期から十分な教育の機会にも恵まれてきた。世間的には高学歴と言われる大学にも入学できし、学生時代には海外留学も経験した。名前を出せば誰もが羨む企業にも就職した。それでも、自分がゲイであるというこの事実は、僕が恵まれていること全てを吹き飛ばしても足りないほど重すぎる足枷だった。むしろ、こんなに恵まれてきたからこそ、正常ではない自分のセクシャリティを受け入れるのがこんなに辛いのかもしれない。自分が何かを達成できても、どれだけ褒められても、「でも自分はゲイだから」と心の中で呟いてきた。

これまでいったい何人の男性を愛してきたんだろう。そしてそれは、いつもその大きさ以上の苦しみを僕に与えてきた。

これ以上は心が持たないと感じた僕は、一切の恋愛感情を捨て去って、友情結婚への道を進むことに決めた。

14. 彼が冷たかった理由

彼はここ最近ちょっと冷たかった。

恋愛話になるのが嫌で、家族とも友達とも会社の人ともどこか距離を置いてしまっている僕にとって、彼からも温かさを得られないのは本当に辛かった。

ある日、ベッドの上で、彼が心情を打ち明けてくれた。彼が僕にやや冷たい態度で接していたのは、僕に温かみを以て接すると、僕の両親の顔が浮かんでしまうかららしい。僕の両親が僕に結婚を望んでいること、僕達家族の仲がいいこと、でも結婚の話が嫌で僕が精神的な距離をやや空けていること、それらを全て知っている彼は、僕と付き合っていることで責任感と申し訳なさを感じていると言う。

彼はすごく優しい。僕のことを考えているからこそ、その温かさによって冷たく接したのだ。そんな彼の温かさに触れ、彼と一緒にいたい気持ちが強くなった。

しかし、彼と一緒にいることを決意することは、僕がこれからも家族や友達や同僚、同期を含むあらゆる人たちと精神的な距離感を保ちながら生きていくことを意味している。究極の選択とはこのことだなと思った。

恋人ができて結婚すれば家族との距離も縮まり、友人や誰にでも臆することなく自分の恋人について話題にできる異性愛者が心底羨ましかった。

13. 理想と現実のギャップ

できることなら、異性を好きになって、付き合って、プロポーズして、結婚して、二人の子どもを作って、子育てをする、そういう「普通」とされる人生を歩みたかった。

でも僕にはそれが叶わない。好きでこうなった訳じゃない。世間の人たちは、全ての人は当たり前のように上に述べたような人生を歩むものだと無意識に思っていて、そこから外れた人たちは何かしらの原因があると考える。

「30歳までには結婚した方がいい」、世の中の10%近い人々が性的マイノリティであることを考えれば、そんな発言ができるはずがない。僕にとってはそれが無意識の存在否定に思われて辛い。そういう人たちが一人や二人ならまだいい。でも世間のほとんどの人がそうなのだ。

僕は苦しい。「普通」とされる人たちはこの重りがない状態で生きているなんて。恋愛至上主義、下ネタ至上主義の世の中でどうやって僕は立ち振る舞えばいいんだろう。

LGBTQであることが、左利きやAB型のように単なる個性として完全に認められる日は絶対に来ないと僕は確信している。男女の営みにより生殖がなされる限り、絶対にだ。

12. 今の自分は幸せを他者に委ねているみたい

幸せってなんだろう。自分が幸せと感じればそれが幸せ。他者からどう思われても自分が幸せなら幸せ。他者を介在させない幸せが本当の意味での幸せ。

何度自分に言い聞かせただろう。でも僕はどうしてもそう思えなかった。納得はしたし、確かにそれが本当の幸せなんだと思う。でも僕にはそれができなかった。

僕は今まで9人の男性と付き合ってきた。彼らと2人でいた時間はいつも幸せだった。好きな人といられるなら別に他のことはどうでもいいやと思ったこともあった。

しかしそんな気持ちは長くは続かない。異性愛について描いたドラマや映画を見たとき、両親が当たり前のように幸せに仲良く暮らしているのを見たとき、友人から彼女ができた報告をされたとき、飲み会の場で恋人の有無を聞かれた時、愛想笑いしながら当たり障りのない返答をする自分、つまらなそうにする相手の顔、有名なAV女優の名前を知らないことをびっくりされたとき、同性愛者として生きるのはハードルが高い。この世は、同性愛者の存在を前提として成り立っていない。いくら認められつつあるといっても、みんなまさか自分の周りにいるなんて思っていない。

じゃあカミングアウトすればいいじゃないか、結局その話に戻る。