もがくゲイの500字

ゲイの苦悩や考え方を500文字程度で語ります。

23. 得るものと失うもの

 

好きな人ができたこと。それは本当に幸せなことだと心から思える。

でも、好きな人と一緒に生きていく選択をすることは、友情結婚というある意味では自分を閉ざさずに生きていける未来を捨てることになる。

そのことは僕にとってあまりにも大きなことだ。

友情結婚の道を選ぶことにより得られるであろうもの、失うであろうものは下記だ。


<得られるであろうもの>
①ありのままの性格で胸を張って周りと向き合えること
→同性愛者として生きていく場合、自分は本当の自分を隠しながらひそひそと嘘をついて生きていくことになる。性格上カミングアウトはできない。もちろん、本当は同性愛であるということは隠して生きていくことになるが、それは全く苦ではない。結婚できないことで、悲しみと劣等感に暮れながら本来の自分の明るさとかユーモアを潜めながら生きていく方がよっぽど辛い。

②堂々とストレートの友人たちと関係を続けられること
→同性愛者として生きるとなると、”普通”の未来を歩む友人たちとやはり距離を置くことになると思う。

③親を安心させられること
→優先度低め

④家系を終わらせずに済むこと
→優先度低め

⑤恋愛の話題から解放されること
→恋愛の話を振られるのが辛い。彼女がいるかって?明らかな異性愛者決めつけでそういうこと聞かれて嘘をついて誤魔化す自分を俯瞰して、どんどん心に重りが溜まっていく。これから解放されるのは自分にとって救い。

⑥つきたくない嘘をつかなくて済むこと
異性愛者として生きるために自分を守る嘘をつくこと。本当に辛い。

⑦まだ見ぬ大切な子どもと会えること
→自分の子どもはきっと何物にも代えがたい大切な存在になることは目に見えている。

⑧生きる意義と今後のビジョンを見出せること
→結婚/子育てというわかりやすい幸せを手に入れられたら、どれほど楽で幸せだろう

⑨家族愛
→恋愛的な意味で女性を愛することはできないけど、家族としては絶対に愛せる自信がある

<失うであろうもの>
①心の底から人に恋焦がれて愛し合う機会


友情結婚で得られるものはあまりに大きい。

これらを諦めてでも、人生をかけて愛したい人ができてしまったら、それはそれで幸せになれるだろうか。

22. 繰り返す葛藤と答えなき問い

このブログを更新するのは、自分の心が方向感覚を失っているとき。答えのない問いにもがいてるとき。例に漏れず今回もそう。

 

片想いの人から振られて1年。それを機に恋愛はやめるつもりだった。友情結婚こそが自分を幸せにするんだと言い聞かせて。

 

この歳になると、周りは結婚や出産のような人生のステップを着実に進めていく。彼らの幸せ自体は心から願うことができる。でも数多のそういう”幸せ”を傍目から見るなかで、間違いなく自分の心は疲弊していく。

 

「同性愛者である自分は彼らと同じような幸せを絶対に掴めない」

 

そう考えると未来は薄暗くて曇ったものとしか思えなかったし、一生この思いを一人で抱えていくのは無理だと思った。

 

そんな中で一筋の希望となったのが友情結婚という選択だった。今年は同じ悩みを抱える多くの女性と出会った。一般的な結婚ができる選択肢を手に入れた僕は、周りにも明るく振る舞えたし、人生を楽しめるようになった。

 

それなのに。僕は好きな人ができてしまった。もちろん同性の。好きな人ができたことによる喜びと一般的な幸せを掴む未来が潰えることの悲しみ。

 

自分に正直に生きるってどういうことなんだろう。

21. 何が辛いんだろう

何が辛いんだろうと考える。それを明確化して、その要因を全て解消したとしてもきっと辛さはなくならないのに。何が正解だろうと考える。正解だと思える選択を選んだとしても、本当にそれが正解だったかいつかきっと悩んでしまうのに。

それでも、悩んで苦しむことは自分自身をより強くより深い人間にするはずだと信じたい。

死ぬときの後悔の一つに、「もっと自分に正直に生きればよかった」というものがあるらしい。

今のままの生き方をすれば、自分の人生最大の後悔はきっとそれになるだろう。

そうならないためには、自分に正直に生きればいいんだろうけど、そもそもどう生きることが自分に正直にということになるのかがわからない。

自分の悩みの選択肢にあることの全てが、ある意味では自分に正直と言えるし、ある意味では自分に嘘をついているとも言える。

自分に正直な選択肢がどれかが明確だったら、その道に突き進めばいいんだと思う。でも自分の場合はそうじゃない。正直という言葉を深く考えれば考えるほど、深い暗闇に入りこんでいくような気持ちになる。

やっぱり答えは見つからない。

20. 今に逃げるということ

過去と向き合うこと、未来を見据えることは素晴らしいことだと思う。

でも、素晴らしいことが正しいこととは限らない。過去と未来ばかり見てると、辛くてどうしても耐えられないことがある。未来の場合は特に。

自分を待っている未来が自分の理想とあまりにかけ離れていれていることが容易に想像できる場合、未来のことを考えることそれ自体が今の自分を苦しめ続けることになる。いくら今が楽しくても、未来の自分を想像するだけで、楽しい今を辛い未来への一歩としてしか捉えられなくなる。

だから、僕は意識的に今を楽しむことにしている。それでもふとしたときに、やっぱり楽しい今を楽しめない自分が表出してしまう。

今はこんなにも楽しいのに、目の前の景色はこんなにも美しいのに、その幸せをありのままに享受できない自分が憎い。

19. 世間体のためだけの結婚

世間体のためだけに結婚しようとした。愛しているわけでもない人と。それでもうまくいくと思った。愛がなくても普通の家庭を築けるはずだと自分に言い聞かせた。自分が同性愛者であることを周りに知られたくなかった。結婚できないやつだと思われたくなかった。周りがどんどん結婚していくなかで、自分が独身でいることに劣等感を感じた。

なのに、今の婚約者と結婚したらそういう悩みとはおさらばできるはずなのに、心から愛し合える人と一緒になる未来を放棄することが急に怖くなった。

これまでだって好きな人はいた。でも誰にも紹介できなかった。自分の愛する素敵な人を周りに自慢したかったのに、自分の弱さがそれを邪魔してきた。一部の人たちを除いて、周りも世間もそれを受け入れてくれることはわかっているのに、どうしてもその一歩が踏み出せない。

18. 酸っぱい葡萄の狐になることが唯一の道

酸っぱい葡萄という物語がある。

 

高い木の上にある葡萄を取ろうとしたけど届かなかった狐が、その葡萄は酸っぱいと決めつけた話。

 

この狐は負け惜しみを言っている愚かな奴だと批判する人がいるけれど、僕はそう思わない。この考え方こそが、今僕が思いつく同性愛者として生きていく唯一の正解に思える。

 

自分が得られないいわゆる"普通の幸せ"を酸っぱい葡萄だと表現すること以外に、今の負の感情と決別する方法がわからない。

 

でもいくらそう思おうとしても、それが酸っぱい葡萄じゃないことを認識せざるを得ない日常。

 

酸っぱいはずの葡萄が実はすごく甘いものなら、僕は自分の気持ちを犠牲にしてでも、その甘い葡萄を取らなければと思ってしまった。だからこそ、それを得るために駆け抜けた。

 

なのに、最後の最後でチャンスを手放すなんて。本当に愚かだと思う。

 

いっそ、誰のことも好きになれないならよかったのに。人を愛する気持ちは素晴らしい?そんな感情いらない。消し去りたい。

17. 繰り返す憂鬱

何度同じことで悩んだんだろう、何度同じ道を通ってきたんだろう。

 

どれだけ悩んで出した決断も、時間が経てば、それが悩み抜いた末に出した決断だったことすら忘れてしまう。

 

あんなに悩んだのに。絶対にこうしようと決めたのに。一時の感情に流されている現在の自分より、睡眠時間を削ってまで必死に考えて悩んでいた過去の自分が出した答えの方が正しいはずなのに。

 

いろんな人を傷つけた。全ては自分のせい。自分のセクシャリティのせいだと思うけれど、きっと自分が同性愛者でなかったとしても、同じように別の理由でいろんな人を傷つけていたことだろうとも思う。

 

同性愛者が生きるべき道は、自分の気持ちに素直になって生きるか、あるいは自分の気持ちを押し殺して生きるかの二択のように言う人が多いけど、本当はそんな単純なものじゃない。

 

同性を人生のパートナーとして選ぶことが、必ずしも自分の素直な気持ちに従った選択というわけではないし、異性と結婚することが必ずしも世間体のためと言うわけじゃない。

 

だから、「自分の気持ちに素直に生きるのが絶対いいよ」みたいな言葉は本当に響かない。わかってる。自分の素直な気持ちがわからないからこそ、こんなにも苦しい。