もがくゲイの500字

ゲイの苦悩や考え方を500文字程度で語ります。

25. 心からの祝福と心からの諦念

 

叔父の結婚式。30年近く連れ添った2人がついに結婚。

 

普段は自分の気持ちを顕にしない祖父が言った。

 

「私は世界一の幸せ者です。」

 

僕は泣いた。なぜ泣いたんだろう。涙の理由は一つではない。さまざまな思いが自分の身体を駆け巡って、思わず涙が溢れ出た。

 

僕は両親を世界一の幸せ者にすることはできないし、こういうことを思わせてもらえるような立場にはなれない。

 

また、自分が心から愛する人との幸せを自分の大切な家族や親族たちに祝ってもらうことは決してできない。その愛がどれだけ深く大きくても。

 

いくら寛容な世の中になっても、僕たちが偏見の目なく認めてもらうことは、少なくとも僕の世代には不可能だろう。

 

そもそも偏見を抱いているのは自分なのだから。

 

認めてもらえたとしても、その表面的な受認の裏の偏見の目を読み取ってしまって、僕は余計に悲しくなるだろう。

 

自分の愛する人との幸せを世間に誇示することができる結婚式という儀式は、”普通の人”にとっては最上級の幸せに違いない。

 

一体いつまでこの地獄のような悩みを誰にも打ち明けずに胸に閉まって生きていかなくちゃいけないんだろう。

 

どの道選んでも地獄なのだから。

 

24. 秘匿と擬態の疲弊

 

いつも隠してきた。いつも誤魔化してきた。
いつも笑顔で。いつも明るく。
いつも自己否定してきた。いつも自己肯定したかった。

 

全てをさらけ出したいのに。何も偽りたくないのに。隠すための嘘が自分の心を深くもう二度と修復できないほどに粉々にした。みんなの悪意なき善意が、純粋な悪意の数万倍の力で自分の魂を削った。

 

同性愛という-99,999,999,999,999,999,999の要素を相殺するために、何にでも全力で取り組んできた。異性愛を前提としたこの世界で、何をどれだけ頑張ってもそのマイナスを打ち消すことはできないのだけれど。

 

「〇〇よりも女性に紹介しやすい人はいません」

結婚式の自分宛のメッセージにはそう書かれていた。

 

そりゃそうだろう。

 

同性愛者であることのマイナスを少しでも減らすために、僕がどれほど良い人間であり続けようとしてきたと思ってるんだ。

 

誰よりも見た目の清潔さに気を配って、その場にいる全ての人に気遣いをして、誰よりも場の空気読んで皆を楽しませることを常に意識して、それでいてそういうことを一切感じさせない工夫。

 

生産性のない同性愛者は、せめて社会にとって常に何かしらのプラスを提供することを無意識に迫られている。

 

こんな思いを抱えてこれから生きていくぐらいなら。

 

23. 得るものと失うもの

 

好きな人ができたこと。それは本当に幸せなことだと心から思える。

でも、好きな人と一緒に生きていく選択をすることは、友情結婚というある意味では自分を閉ざさずに生きていける未来を捨てることになる。

そのことは僕にとってあまりにも大きなことだ。

友情結婚の道を選ぶことにより得られるであろうもの、失うであろうものは下記だ。


<得られるであろうもの>
①ありのままの性格で胸を張って周りと向き合えること
→同性愛者として生きていく場合、自分は本当の自分を隠しながらひそひそと嘘をついて生きていくことになる。性格上カミングアウトはできない。もちろん、本当は同性愛であるということは隠して生きていくことになるが、それは全く苦ではない。結婚できないことで、悲しみと劣等感に暮れながら本来の自分の明るさとかユーモアを潜めながら生きていく方がよっぽど辛い。

②堂々とストレートの友人たちと関係を続けられること
→同性愛者として生きるとなると、”普通”の未来を歩む友人たちとやはり距離を置くことになると思う。

③親を安心させられること
→優先度低め

④家系を終わらせずに済むこと
→優先度低め

⑤恋愛の話題から解放されること
→恋愛の話を振られるのが辛い。彼女がいるかって?明らかな異性愛者決めつけでそういうこと聞かれて嘘をついて誤魔化す自分を俯瞰して、どんどん心に重りが溜まっていく。これから解放されるのは自分にとって救い。

⑥つきたくない嘘をつかなくて済むこと
異性愛者として生きるために自分を守る嘘をつくこと。本当に辛い。

⑦まだ見ぬ大切な子どもと会えること
→自分の子どもはきっと何物にも代えがたい大切な存在になることは目に見えている。

⑧生きる意義と今後のビジョンを見出せること
→結婚/子育てというわかりやすい幸せを手に入れられたら、どれほど楽で幸せだろう

⑨家族愛
→恋愛的な意味で女性を愛することはできないけど、家族としては絶対に愛せる自信がある

<失うであろうもの>
①心の底から人に恋焦がれて愛し合う機会


友情結婚で得られるものはあまりに大きい。

これらを諦めてでも、人生をかけて愛したい人ができてしまったら、それはそれで幸せになれるだろうか。

22. 繰り返す葛藤と答えなき問い

このブログを更新するのは、自分の心が方向感覚を失っているとき。答えのない問いにもがいてるとき。例に漏れず今回もそう。

 

片想いの人から振られて1年。それを機に恋愛はやめるつもりだった。友情結婚こそが自分を幸せにするんだと言い聞かせて。

 

この歳になると、周りは結婚や出産のような人生のステップを着実に進めていく。彼らの幸せ自体は心から願うことができる。でも数多のそういう”幸せ”を傍目から見るなかで、間違いなく自分の心は疲弊していく。

 

「同性愛者である自分は彼らと同じような幸せを絶対に掴めない」

 

そう考えると未来は薄暗くて曇ったものとしか思えなかったし、一生この思いを一人で抱えていくのは無理だと思った。

 

そんな中で一筋の希望となったのが友情結婚という選択だった。今年は同じ悩みを抱える多くの女性と出会った。一般的な結婚ができる選択肢を手に入れた僕は、周りにも明るく振る舞えたし、人生を楽しめるようになった。

 

それなのに。僕は好きな人ができてしまった。もちろん同性の。好きな人ができたことによる喜びと一般的な幸せを掴む未来が潰えることの悲しみ。

 

自分に正直に生きるってどういうことなんだろう。

21. 何が辛いんだろう

何が辛いんだろうと考える。それを明確化して、その要因を全て解消したとしてもきっと辛さはなくならないのに。何が正解だろうと考える。正解だと思える選択を選んだとしても、本当にそれが正解だったかいつかきっと悩んでしまうのに。

それでも、悩んで苦しむことは自分自身をより強くより深い人間にするはずだと信じたい。

死ぬときの後悔の一つに、「もっと自分に正直に生きればよかった」というものがあるらしい。

今のままの生き方をすれば、自分の人生最大の後悔はきっとそれになるだろう。

そうならないためには、自分に正直に生きればいいんだろうけど、そもそもどう生きることが自分に正直にということになるのかがわからない。

自分の悩みの選択肢にあることの全てが、ある意味では自分に正直と言えるし、ある意味では自分に嘘をついているとも言える。

自分に正直な選択肢がどれかが明確だったら、その道に突き進めばいいんだと思う。でも自分の場合はそうじゃない。正直という言葉を深く考えれば考えるほど、深い暗闇に入りこんでいくような気持ちになる。

やっぱり答えは見つからない。

20. 今に逃げるということ

過去と向き合うこと、未来を見据えることは素晴らしいことだと思う。

でも、素晴らしいことが正しいこととは限らない。過去と未来ばかり見てると、辛くてどうしても耐えられないことがある。未来の場合は特に。

自分を待っている未来が自分の理想とあまりにかけ離れていれていることが容易に想像できる場合、未来のことを考えることそれ自体が今の自分を苦しめ続けることになる。いくら今が楽しくても、未来の自分を想像するだけで、楽しい今を辛い未来への一歩としてしか捉えられなくなる。

だから、僕は意識的に今を楽しむことにしている。それでもふとしたときに、やっぱり楽しい今を楽しめない自分が表出してしまう。

今はこんなにも楽しいのに、目の前の景色はこんなにも美しいのに、その幸せをありのままに享受できない自分が憎い。

19. 世間体のためだけの結婚

世間体のためだけに結婚しようとした。愛しているわけでもない人と。それでもうまくいくと思った。愛がなくても普通の家庭を築けるはずだと自分に言い聞かせた。自分が同性愛者であることを周りに知られたくなかった。結婚できないやつだと思われたくなかった。周りがどんどん結婚していくなかで、自分が独身でいることに劣等感を感じた。

なのに、今の婚約者と結婚したらそういう悩みとはおさらばできるはずなのに、心から愛し合える人と一緒になる未来を放棄することが急に怖くなった。

これまでだって好きな人はいた。でも誰にも紹介できなかった。自分の愛する素敵な人を周りに自慢したかったのに、自分の弱さがそれを邪魔してきた。一部の人たちを除いて、周りも世間もそれを受け入れてくれることはわかっているのに、どうしてもその一歩が踏み出せない。